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江戸時代から伝わる素朴な里神楽 Oohano Kanmai

大波野神舞の由来ORIGIN & HISTORY

 大波野神舞の起源については正確なことはわかりかねますが、現在使用している手鉦(てがね)に天明元年(1781年)という刻銘があることからして、藩政時代には存在していたことがわかります。江戸中期に大飢饉、疫病が流行し、その防止の願掛けとして神主が舞った神楽が起源とされています。神舞の奉納には近隣の神主が集まって共催する社人神楽でした。百姓神楽に移行したのは文化2年(1805年)の社人神楽禁止によるものか、明治になっての社人神楽禁止によるものかは不明ですが、その後農民(氏子)の手による里神楽として伝承されてきています。
     古い手鉦

田布施町大波野にある八幡八幡宮  
 現在の奉納形態は大波野地区の下組、中組、上組、小行司の4地区を5年ごと(舞の奉納した年も数えるので実質は4年ごと)に年期神舞を奉納して回り、別に八幡八幡宮には10年ごとの式年大祭に神舞を奉納する、という二重構造を持っていることが県内でも突出した例となっています。
 山口県の神楽の中で岩国市行波のものが北進したり、西進したりして大きな影響を与えていますが、大波野神舞はその最西端にあたり、現在では行波の様式を完全に伝えている唯一のものです。そして、この神楽は大正時代に平生町の田名に伝えられましたが、現在は消滅しています。

神舞(かんまい)の呼び名について

全国的に呼ばれている神楽(かぐら)と同じ内容を指しますが、この地域では昔から神楽と呼ばずに神舞(かんまい)と呼んで親しまれてきました。おそらく、岩国市行波(ゆかば)神舞の影響を受けていると思われます。
神楽には「神様が楽しむ」「神様を楽しませる」という意味がありそうですが、神舞には「神様が舞う」という雰囲気があります。神降しの儀式もあり、神々が人の中に降りてきて、神と人とが一体になって舞う。大波野神舞には鬼面はありますが、他に派手な衣装も道具もありません。シンプルなだけに、舞そのものが際立っているような気がします。

大波野神舞保存会

〒742-1501
山口県熊毛郡田布施町大波野

TEL 0820-52-3855
FAX 0820-25-3988

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